男性歯科技工士ご挨拶

歯科技工士 中島 一晃 ~Kazuaki Nakajima~

歯科技工士 中島

私は歯科技工士の仕事に携わって20年になります。デンタルスタジオ和では、1つの仕事を最初から最後まで1人の技工士が担当しております。1つの模型を完成まで担当しますので、その患者さまの咬合機能や審美的特徴を考慮して、心を込めて製作しています。

私は代表の堀口と20代前半で出会い、将来の歯科技工士像について夢や希望を語りあっていました

「かっこいい技工士になろう!」

それからずっと変わらぬ思いで技工を続けてきて今 『デンタルスタジオ和』というカタチとなりました。
今後も多くの人と出会い、もっと技工士の活躍の場をつくっていきたいと思っています。

技工士を目指したきっかけ

歯科技工士高校3年の夏に進路に悩んでいました。進学か就職か、 大学進学して4年も学ぶ事はとても想像できなく、就職又は技術習得の為に専門学校へ進学を考えていました。

当時は営業マンのように人と話したり、外回りをしたり、机の前での事務業は退屈で絶対に無理だと自分を分析していたので、私の選択肢は当時ドラマの影響で人気だった美容師や小さい頃から憧れていた大工さんなどでした。その中の一つに歯科技工士も入っていました。

技工士の存在はある学校説明会で知り、その時の印象が強く脳裏に焼きついていました。どんな印象かというと

歯科技工士

「患者さんの為になる技術職、そして給料もいい・・・(笑)。」

願ったり叶ったりと、そんな印象でした。その好印象の歯科技工士を真剣に志したのは、「患者さんの笑顔、患者さんに感謝されながら働きませんか?」というフレーズに心を打たれて、人の為に働き、日々やりがいを感じながら働きたいと思えたからです。

人のカラダの一部を真剣に製作して自分の作った技工物を実際に口に入るところが見てみたい。そして患者さんに笑顔になってもらいたいという想いで歯科技工士専門学校への進学を決めました。

下積み時代の思い出

歯科技工士現在 歯科技工に携わって20年になり歯科医師と治療計画を立てたり、歯科衛生士、スタッフと連携を取りながらより良い補綴物を患者さんに提供していますが、歯科技工士になった当時はとても厳しい状況でした。

歯科技工学校を卒業したからといっても、歯科技工の技術はまだまだゼロの状態でしたので、働きながら実践で技術を学び、腕を磨いてました。朝から晩まで技工所に缶詰めになってクラウンやインレー、コアなどをひたすら数をこなす毎日でした。

仕事に追われ終電がなくなることも、技工所で朝を迎えることもあり「患者さんの笑顔、患者さんに感謝されながら仕事がしたい」そんな初心とは程遠い生活をしていました。

歯科技工士多くの技工所がそんな仕事環境だった様で、一緒に卒業した仲間の多くが離職してしまっていました。自分自身も何度も何度も、歯科技工士を辞めようと考えたことがあります。

しかし、仕事環境はとても厳しかったのですが、歯科技工士という患者さんのカラダの一部を回復させるという、ものづくりの仕事が好きだったので、辞めるに辞めれずに下積み時代をなんとか乗り切ることが出来、技術アップに伴い、歯科技工業界での視野も広がり、初めに想い描いていた「患者さんの笑顔、患者さんに感謝されながら仕事がしたい」そんな仕事スタイルもカタチにすることができました。

あの厳しい経験を乗り越えたことで今は歯科医師、歯科衛生士、スタッフ、患者さんとお互いに感謝し合いながら良い関係で仕事をさせていただいています。